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湯けむりもくもく

30代主婦(エンジニア兼業)が子育てしながらいろいろやってみるブログ

第1子切迫早産③

第1子の出産について書いていきたいと思います。

前回の記事はこちらです。

yukemurimokumoku.hatenablog.com

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 単身赴任、週末婚の暮らし

単身赴任の間、週末は必ず都内の自宅に戻っていました。赴任先から家まで2時間ほどです。金曜の夜に帰り、月曜の朝5時頃に出社がてら赴任先へ向かうという暮らしでした。

私の勤め先は、朝から深夜0時近くまでほぼ全員残っているような職場です。会社と家の間のバスも定時後に3本ほどしか無く、定時後すぐに2本と、22時ごろの終バスのみでした。職場のみなさんは私の体調を気遣ってくださって本当に優しかったのですが、仕事も終わらないし、安定期に入ってからは体調も良かったので、毎日22時の終バスで帰っていました。

宿泊での出張も1ヶ月半の間に2回ありました。

平日はあまり感じませんでしたが、週末は、あぁ私本当にクタクタだ、このまま座り込みたい、と思っていました。

今思えば何であんなに頑張っていたのか謎です。今まで、多少のことは気合いで乗り切ってきた我の強さが災いしたのですね。。。

ちなみに夫は、疲れたと言えば、一切家事をしなくても怒らない人です。

入院前夜

単身赴任生活が1ヶ月半を過ぎた頃、いつも通り金曜日の定時後に都内の自宅に向かいました。帰りにご飯を食べて帰りましょうということで、焼肉屋さんに行きました。夫と1週間分のおしゃべりをしてご機嫌な私は、家まで歩いて帰ろうと提案しました。安定期に入ったら運動した方がいいという話をどこかで聞いたのを思い出したのです。夫も快諾し4駅分歩いて帰ることにしました。1時間くらいの散歩です。お腹が張ると感じた時は、少し休憩しながら帰りました。

妊婦健診

焼肉を食べて散歩をした次の日の土曜日午前中に妊婦検診の予約を取っていました。検診後は何を食べようか?とか言いながら病院へ向かいました。初産だったので、なんとなく毎回夫に病院に付き添ってもらっていました。検診帰りに何か食べて帰るのがいつものお楽しみでした。普通に予約通りの診察を終えて帰るはずが、「ちょっとピンチです」という医師の第一声から急展開となりました。入院しましょうと言われて、初めは何が何だかわかりませんでした。じゃあ荷物を取りに帰りますと言うと、もう外には出せない、これからしばらくは絶対安静です、とのこと。なぜか夫にランチに行けなくなったことを謝っていたような記憶があります。あれよあれよと病院の入院着に着替え、病室で横になり、NSTでお腹の張りを測定しました。

微弱陣痛有り、点滴開始

NSTでの測定結果を見ると、周期的なお腹の張りが見られました。助産師さんと医師に、これ陣痛よ、まだ弱いけど、お腹痛くないの?と言われましたが、全然わからない!今が張っているのなら常にお腹痛いような気もする、という状態でした。

そして子宮収縮を抑える薬を点滴することになりました。かの有名なウテメリンです。動悸息切れ火照り吐き気の副作用があるそうですが、私はそんなに気になりませんでした。多少胸の焼けるような嫌な感じがあるなぁ、というくらいでした。

25週750gで出産!?

この日の診察で子供は750g程度とのことでした。そしてこれから産まれるまで入院生活になることを知らされました。まだ実感が湧かず1日2日でお腹の張りが治まれば家に帰れるような気持ちでいました。

25週で産まれてしまうと、未熟児というのになるんだろうなとぼんやりと思っていました。調べてみると、生存率も100%ではないこと、網膜ができていないので弱視になる可能性があること、肺もできていないので呼吸器に障がいが残る可能性があるとのことでした。入院先のベッドの上で調べたことで、初めて実感が湧きました。どうしようどうしようと怖くなりました。泣いたって何も解決しないのに、涙がポロポロ出ました。その夜から熱も出てしまいました。

そんなこんなで、産院での入院が始まりました。