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湯けむりもくもく

30代主婦(エンジニア兼業)が子育てしながらいろいろやってみるブログ

第1子切迫早産④

切迫早産で、入院を言い渡されたあとの経過です。

前回の記事はこちらです。

yukemurimokumoku.hatenablog.com

 

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発熱と蕁麻疹

初めての入院で戸惑いもあり、初日の夜から発熱してしまいました。こんな時に具合まで悪くなるんかい!と我ながら呆れ、更に何やらかゆいなぁと思っていたら、じんましんが太もも内側に。シーツや入院着が合わないのかな、なんて考えていました。しかしこの発熱とじんましん、ここから1ヶ月ほどおつきあいすることになります。

総合病院へ搬送

個人病院に入院して二日程経った頃、微弱陣痛が続いており、このまま出産になってしまう可能性がりました。入院している病院では、帝王切開で出産することはできても、新生児集中治療室がありません。子供が1000グラム無い状態なので、新生児集中治療室に緊急搬送することが必要になります。主治医からは、なるべく自宅から近い都内の新生児治療質がある病院に母体ごと搬送します、とありましたが、空きがなければ埼玉、神奈川、千葉の奥地の病院になるかもしれない、とのことでした。静岡までヘリで運ばれた人もいるそうです。

搬送の日

3日後くらいに、受入れ病院が決まったので明日移動しようね、と言われて、移動しました。移動の朝、荷造り、お化粧、着替えをして、時間になったらタクシーとかで移動する気満々でベッドに座っていたら、看護師さんに、今から救急車で運ばれます!パジャマに戻って!支度も自分でしちゃったの?ごめんね、お知らせが足りなかったね、と言われてしまいました。健康が取り柄で生きて来たので、患者の自覚なし。

パジャマに着替えて待っていたら、主治医と担架を担いだ救急隊員がやってきて、さぁ担架に乗ってと言われました。荷物は看護師さんが運んでくれるとか。大袈裟だよーと思いましたが私以外みんな大まじめ。全然歩けるのに担架で運ばれました。担架にも乗せてくれるというので、思わず救急隊員の方に謝る私。意識もあるのにすいません。受入れ先の病院では、待合室の横をかすめる感じで緊急出入口を通ったのですが、運ばれてるとすっごい見られて恥ずかしかった。具合悪ければ気にならないんでしょうけど。。。

生まれて初めて救急車に乗って、出発しようとしたら主治医と助産師さんが集まって来て、ここでバイバイだよ、最後まで面倒見たかったけど無理でごめんね、頑張ってねと別れを惜しんできます。医療関係者ってアツイ人多いなぁと思いました。やさしい。全然急ぎじゃないと私は思うけど、救急車はサイレンを鳴らして進みます。隊員の人もめちゃくちゃ励ましてくれました。私とっても元気なのに。

搬送先で

小雨が降っていました。運ばれた病院は救急車出入口に屋根がないそうで、濡れないように私は担架の上からブルーシートにくるまれました。そのまま病院内に運ばれていると、屋内入ったんであけますねーとブルーシートの顔の部分だけめくってくれました。息苦しかったでしょう、ごめんねーって。そしたらそこは普通のエントランス。受付やら会計やらの人が一斉にこっちを見ていました。凄く気まずかったし恥ずかしかったです。そのまま救急用だか入院用だかのエレベータに乗り分娩室に運ばれていきました。

搬送先分娩室へ

医師が5人くらい、看護師さんだか助産師さんが3人ほど。寄ってたかって服を脱がせて来ます。寒くて寒くて震えました。震えてると安心してねと手を握られ、死ぬほど寒いんやーと心で叫びました、早よ終われ。聴診器当てられたりお腹はエコーされたり内診されたり腕は点滴の針差し替えられたり血圧測られたり、全て同時進行でめまぐるしく動いていました。かなーりしつこくお腹のエコーをして、みんなでナンチャラは正常、ナンチャラの疑いなしとかメモメモしていました。その後陣痛室?に通され、レントゲン撮ったり、いろんな同意書書かされたり、出産だか陣痛だかの叫び声を聞きながら、夫が来るのを待ちました。この時叫び声にビビっていたのか緊張していたのか心拍数と血圧が凄く高かったです。入院の手続きが終わったら、妊婦さんの集中治療室(MFICU)に入ると言われビビるわたし。え、そんなに産まれそうなの?と本当に心配になっていた時に夫が到着。顔を見た途端安心して涙がポロポロでました。

MFICUへ

周りの皆さんが、ガンガン手術室やら分娩室に向かっていきます。毎日両隣総入れ替わりです。私だけがポツンとしぶとく残っていました。朝も夜もモニターをつけてお腹の張りと子供の心拍を見ます。2、3日するとウテメリンか安静の効果か、微弱陣痛がみられなくなってきました。弱い陣痛が測定されなくなって2日ほど経った頃、集中治療室から病棟に移りました。