SHIINBLOG

湯けむりもくもく

30代主婦(エンジニア兼業)が子育てしながらいろいろやってみるブログ

お金を貯める①

我々夫婦の収入は、堅実に暮らせばそれなりに貯金もできそうな額なのですが、夫婦揃って能天気にお金を使ってしまうたちでして、余った分を貯めるシステムでは、我々は貯められないようです。

車も家も持っていないのでローンはありませんが、一人分の年収にも満たない現金の貯金と株主優待目当ての株が一種類です。

 

こんな状態でもうすぐ3歳の息子、そして乳飲み子を抱えています。そろそろ本気を出してしっかり貯めていきたいと思っています。

 

私は地方出身で、同じ大学を出て都内で働いている友人と、都内と地方の違いについて語り合ったことがあります。

地方では通勤30分以内当たり前だし、車を持っているのも当たり前(無いとマズイ)だし、家は4LDKで100平方メートルくらいでも大豪邸ではないし、共働きで普通に暮らせば、それくらいの暮らしができるものだと思っていました。

しかし都内で普通のサラリーマン夫妻にそんな暮らしは到底無理(そういう家は2億近くする)です。自分たちが普通だと思っていた、育ってきた環境と同じような暮らしができないのはなんだか悲しいねと語り合ったのです。

都内の会社に就職してしまったのでもう仕方ないのです、やめるわけにもいきません。ていうか辞めて今より自営業で稼ぐ自信がありません。そしてこれをやりたいということも見つかりません。子育ても忙しいし。ダメなやつのやらない言い訳ですね、でもこれから少しずつ行動を変えていきます!これからはサラリーマンしながら、倹約に励み、株や仮想通貨に投資して、今までよりももう少し賢くお金を貯めることにします。

 

金融リテラシーゼロの夫婦が、少しずつ勉強していきます、悪あがきを笑って見守ってくださいね。よろしくお願いします。

 

 

第2子無痛分娩②

出産まで記載します。

 

◾︎38w検診

38w検診の朝おしるしがあり、検診後、そのまま入院になるかもしれないので入院グッズを持って病院へ。しかし医師からは、全然生まれる気配がない!どんどん動いて良いからねと言われ、あっさり帰ることとなりました。38週で生まれる気配無いというのは普通だと思いますが、前回早産だったため、なんとなく焦り始めました。

 

◾︎陣痛〜病院

妊娠後期から、腰の痛みや頻尿で2〜3時間おきに起きていたのですが、その日の夜トイレに行きたくて目覚めた際いつもよりお腹が張って痛いなぁと思いました。トイレに行った後また寝たのですが、また目覚めた際にお腹の張りと痛みを感じました。2日前の検診で全然生まれる気配がないと医師に言われていたので、臨月になってお腹が張ると結構痛いんだなぁと呑気に構えもう一度眠りました。ウトウトするもののお腹の張りで目が覚めるので、いよいよかと思い、陣痛アプリを起動し、長男の保育園の準備、入院中の長男に関する申し送り事項まとめ、自分の入院準備をしていきました。しかし見事に陣痛の間隔がバラバラ、10分切ったと思いきや次は20分といった具合でした。本能的に、教科書どおりではないけれど、陣痛な気がすると思い、6時ごろ病院に電話をしました。電話している限り全く痛くなさそうだけど、経産婦で前回切迫早産だったので、とりあえず来てくださいということになり、父に通勤のついでに病院に降ろしてもらうことにしました。

陣痛の間隔は相変わらず10分になったり20分になったり、我慢できる痛みで、全く痛くないように見えたらしく、起きてきた母が作ってくれた朝食を長男も交え和気藹々食べてから、父の車で病院へ。

車に乗る頃には、小声でいててと言いたいくらいの痛みでした。病院へ向かう車の中で、父が結構焦っていて笑えましたが、車の中でまだまだ余裕でおしゃべりできる状態でした。

病院に着くとスタッフの方が玄関に仁王立ちで私を待っていました。呑気に朝食を食べていたからお待たせしてしまったようです。

 

◾︎病院に着いて〜分娩室まで

受け答えもしっかりしているしスタスタ歩く私を見て、こりゃ帰ることになりそうだね、でも一応先生に診てもらいましょうね、と告げられ診察へ。医師も、平気そうじゃん、一昨日もまだ全然ってかんじだったしーと軽口を叩きながら診察すると、子宮口が3センチひらいていてもう入院していってーとのことでした。駐車場で待機する父から荷物を受け取り、入院になったからお父さんは仕事に行ってねーと送り出し、ひとり入院する部屋へいきました。部屋に行くとすぐにモニターをつけられ、助産師さんが今日中に産めたら良いですね、などと言っていたので長くなりそうだなと覚悟を決めました。しかしモニター後に、もう分娩室行こう!歩ける?と言いました。もうそんなになってるの?さっき今日中に産めたらとか言ってたのにー、と思いつつ歩いて部屋を出ると、平気なの?痛くないの?車椅子もあるよ?と言われました。まだまだ余裕で歩けたのでテクテク分娩室へ行きました。廊下では私の他に入院してきた人々が2、3人おり、騒然とした雰囲気でした。

 

◾︎分娩室で

分娩室で内診した助産師さんが、もう子宮口が6、7センチになってるから先生を呼んで麻酔します、と急展開でした。まだまだ全然歩ける痛みだし、呻くほどではなかったです。硬膜外麻酔の針を刺すための麻酔はなしでした。これはこの時点の陣痛より痛かった!そして麻酔で陣痛が遠のかないように、陣痛促進剤も入れはじめました。昨夜あまり眠れなかったので麻酔を入れてからはうたた寝しました。40分くらいウトウトしたところで、産むよ!先生来たらいきみましょうと起こされいきみ始めました。はじめは痛くなくて余裕でしたが、ん?麻酔効いてる?びっくりするくらい痛いんだけど!と思った瞬間、頭が出たよ!いきむのやめてハーハーと息を吐いてと言われ、第2子がつるりんと出て来ました。胎盤が出たことには気付かなかったし、縫われているのは感じましたが、痛くはなかったです。

 

 

◾︎まとめ

助産師さんと看護師さん曰く、かなり落ち着いてたね、無痛でもみんな相当騒ぐわよ、痛みに強いねとのことでした。なので痛みに弱い方はぜひ麻酔医による、自分で麻酔を追加できる無痛分娩をお勧めします。

なお第2子を和痛分娩で産んだ方と授乳室で話した際、和痛はいよいよ産むという時に、麻酔をぷすぷすっとお股のあたりに刺してくれたとのことでした。麻酔なしで臨んだ第1子の時と痛みは変わらなくて痛かった、和痛にして良かったかはわからないとおっしゃっていました。 

無痛、和痛をうたっている病院は沢山ありますが、具体的な麻酔の方法を確認して、自分に合ったかたちでのご出産をしてくださいね!

 

 

 

 

 

第2子無痛分娩①

切迫早産で早めに帰省してから、一切子宮頸管長を測定せず、自宅でひたすらのんびり過ごして36週を迎え、無事普通の妊婦となった後の話です。

 

◾︎帰省先での無痛分娩できる病院選び

都内では激戦の分娩予約も、帰省先では34週までに病院に来ればいいよ、分娩予約なんていらないから、というのんびりっぷりでした。都内にいると少子化なんて信じられないという感じでしたが、地方だとやはり少子化を感じます。

そして帰省先では、行けそうな病院では麻酔医による麻酔をしている病院はなかったので、家から1番近い病院に決めました。

産科医による麻酔なので、無痛といえども多少痛いことはわかっていました。

 

◾︎今回の無痛分娩

私が選んだ病院は、計画分娩は余程の事情がないとしない方針らしく、陣痛か破水で病院に行って子宮口が5センチひらいたら麻酔を入れる、麻酔は自分でも医師も調整せずにひたすら一定量を流し続けるというものでした。

バースプラン話合いの際に、第1子の時完全に無痛だったし、計画分娩だったため陣痛もほぼ経験していませんと話したところ、これまで完全に無痛で産んだ方々が第二子でこの産院で出産した際、無痛じゃなかった痛かったと言っていた、なのである程度の痛みはあると伝えられ、かなり怯えてしまいました。しかし今更都内にも戻れないし、何もしないよりは痛くないはずと腹をくくりました。

無痛分娩できる産院を探していて、全く痛みなく産みたいというのであれば、ぜひ麻酔医による麻酔かどうか、痛みの強い時に自分で麻酔を追加できるか、麻酔開始のタイミングは自分で決められるのか、を確認することをお勧めしたいと思います。それらができる産院は痛みを取るということに重きをおいてくれるのではないかな、と私は思います。

 

次は実際の私の出産について書きます。

 

 

 

 

第2子切迫早産③ 36週

切迫早産で自宅安静との診断書を都内総合病院で出され、会社も早めに休むことになり、第1子を連れ早めの帰省をして、なんやかんや36週まで無事に過ごしたその続きです。

 

◾︎36週で転院

帰省先の総合病院では、初診で子宮頸管長を測ったっきり一度も測定することなく、エコーだけで36週を迎えました。

特に異常が無かったので、紹介状を書いてもらい転院することになりました。

 

◾︎転院先での検診

転院先は34週から来て欲しいということだったので、紹介状は36週でもらえる旨を伝えて34週から診察を受けました。36週の診察は総合病院の紹介状をもらえる次の日に予約を入れておきました。転院先の病院でも、エコーをするのみでした。37週までなるべくおとなしくね、陣痛が来たら病院に来てねということでした。

 

◾︎バースプラン話合い

帰省先では、麻酔医による無痛分娩ができる病院は行けそうな範囲にはなく、今回選んだ産院も産科医の麻酔ではないということはわかっていました。第1子出産時に医師から、産科医の僕が麻酔をしたら正直少しは痛いよ、しないよりは痛くないけどね、と言われていたので覚悟はしていました。そしてバースプランを話し合う時に、無痛分娩の詳細について助産師さんから説明があり、前回完全に無痛だった妊婦さんたちは、うちの病院で無痛分娩をしても痛かったと言い残してきたから、あなたも前回と同じ様に全く痛くないとは思わないでねということでした。これが麻酔医と産科医の違いなのか?と思いつつ少しでも痛みが緩和されるならそれでいいやと腹をくくりました。

そして夫も親も第1子も立合わず1人で産むこと、分娩中は叱咤激励されるより優しく励まされたいとだけ伝えあっさりバースプランについての話し合いを終えました。

 

◾︎第1子保育園

実父母のもとに帰省したわけですが、父はまだ仕事をしており平日不在であること、母が1人で2歳児と妊婦の世話をするのは厳しいだろうということで、第1子は保育園に入れることにしました。幸い都内で認証保育園に通っているので、帰省先では認可保育園でも何でも入れる状態でした。認可保育園に入れるには手続きが大変なことと、私立の保育園の方が保育料が安かったので私立の保育園に決めました。

2歳だしすぐに転園先に慣れるでしょうと思っていましたが、結果泣かずに保育園に行ける様になるまで3ヶ月かかりました。子供の特性にもよりますが、転園は安易にさせるものではないですね。

 

なんだかんだ37週をあっさり迎え、私の切迫早産ライフは終了しました。

第2子切迫早産② 29週

◾︎帰省先での治療方針

帰省先の病院でも、これまで都内でしていた治療と同様、毎週黄体ホルモン注射をすることになりました。子宮頸管長は初診の際、30ミリ弱というのを確認したけれど、これからは臨月になるか臨月になってない場合は陣痛でも始まらなければ内診はしない方針だと告げられました。

 

◾︎黄体ホルモン注射の辞めどき

第1子の際は医師の勧めで32週で辞めました。第2子も32週で辞めることを勧められたのですが、第1子が結局早産だったことから34週までお願いしてみました。その結果折衷案で33週までとなりました。黄体ホルモン注射はおまじないみたいなもので、ほとんど意味ないから29週の今辞めてもいいくらいと医師からコメントがあり、じゃあ毎週打ってるのはどういうことや?と思いました。

 

◾︎36週になったら転院したい旨を伝える

またもや無痛分娩で産もうと思っている私は、36週になったら無痛分娩のできる産院に転院したいと申し出ました。36週の検診まで総合病院で実施して、最後の検診の日に母子ともに異常がなければ紹介状を書きますよということで話はまとまりました。